最近の人達は、恋愛をしないと言います。
出会いがないのかというと、それは魅力的な女性がいなくなったからとも言われています。最近のテレビでも同じことが言えます。どのタレントも魅力的ともいうことができますが、どの人達も全員横並びでAKBなど、悪く言えば平均値の固まりのようなものであり誰かとつきあうことに失敗したら他で代替が成立できそうで、それなら別に交際しないでもいいという考えも別に起こったりします。この人でなければならないという気持ちが失せてしまっているのです。
【昔は出会いがあった?】
偏見かもしれませんが、昔はもっと魅力的な男性がいて、魅力的な女性がいたものです。出会いがあったのです。相対的に男性と女性は成長したのですが、それが現在ありません。男性にばかり責任を押しつけるのではなく、女性にも責任があるのではないでしょうか。
最近の女性の人達は、女性のような美しい男性がいいという傾向も見て取ることができますが、そのような女性たちの恋愛は同性との仲のいいコミュニケーションの延長のようなものであり、彼女たちも昔のような男性と女性が向きあう恋愛をしていないのかもしれません。
愛することを真剣にしないから、簡単に別れることができます。別れても友だちでいることができ、それならば別にもう一つの選択肢として、一人で過ごすのもいいものだという発想が生まれて来てしまうことになります。
たくさん恋愛映画も登場しますが、どれもテレビドラマの延長線上にあるようなものばかりで、瞬間人達を魅了するもののすぐに消え去ってしまうのも現代社会の特徴です。
全体を通して恋愛に魅力が存在していないから無理に恋愛に飛びつく必要なんて全然ないのかもしれません。
【社会的に、恋愛は育った】
昔の時代のことを言えば、昔の人達は、もっと男性らしくあり、もっと女性らしくあり男性と女性が向きあい、もっと深みのある恋愛が成立していました。
社会のキチッとした規律が昔には存在していたから恋愛も今のような感じで100%自由ということではなく、縛られているから超え出たいというモチベーションが沸き立つことになります。経済成長最重視という時代。当時の価値観に逆らい、恋愛に向きあい恋愛を際だたせてくれたのが「男はつらいよ」の寅さんです。
時代が寅さんのような存在を生みだしたとも言うことができます。しかし、現代社会の人達はどうでしょうか。すべての人達が平均値的な物に満たされ、満足してしまっているため、お金という規制も失われて超え出ようというモチベーションも起こらないままでいます。モノに満たされているということは幸せなことです。しかし、若い人達を恋愛へと向かわせる起爆剤とはなってくれません。
本当は恋愛はお金がかかるから、お金を貯めるために恋愛はしないでいいと思っている人達も、お金に対してはそれほどへ執着心は持っていないけど、女の子と交際をしないから必然的にお金が貯まってしまっただけかもしれません。そのような人達は、ある程度お金が貯まって老後の問題もまだ遠いので、そろそろお金を消費するために女の子と交際してもいいかなという気持ちにもなっているのかもしれません。
それでもまだいないならいないでも構わないと考えているでしょう。なぜなら女の子と交際すればまたお金が減ってしまうからです。一度お金を持った人達は、お金によって「虚像の鎧」が作られて、失うことは自分自身を失うことにも見えてしまうのです。成長しなければならない若い人達にそれはとても危険な発想ではないでしょうか。
【ネットやSNSの発達】
更に、現代社会において、ネットやSNSが発達して情報過多の時代となりました。その中で人間は誰でも嫉妬心や猜疑心といったものを持っているものですが、それを誇張させてしまったということもあげることができます。
ソーシャルネットワーキングサービスによって、女性たちの嫌な部分やアラの細部を見て取ることができ、これなら別につきあう必要はないという失望感が生まれてしまうことになります。SNSによって今までは覗き込むことができなかったプライバシーの部分まで、ある程度知ることができて知れば別に異性と言えども幾分魅力が消え失せて行ってしまいます。
中にはアニメや漫画のキャラクターに恋してしまう人もいるようですが、インターネットでは3次元の女は面倒くさいという声もあります。アニメや漫画のキャラクターに恋をして満足している姿勢はもちろん昔の世界にはありません。
そこには、アニメや漫画のキャラクターに向きあう時間が、リアルに人間と向きあうよりもあまりにも長く確保されているから逆転現象が起こるとも考えることができます。
若者文化が、男性と女性の間に壁を作ってしまったともいうことができます。女性達を男性達は見ようとしても、アニメや漫画のキャラクターの存在で影すら見えない日常生活が作られてしまったのです。
商業経済の押しつけで、無理矢理そのような世界が作られるのは仕方ないことかもしれませんが、大人達もそろそろ欲しがれば若者達に次々モノを提供する姿勢に反省しなければなりません。